2008年 10月 20日
山で想ったこと
を書きなぐる



「昔は60センチ以下の木は伐らなかった」

 午後2時半。僕は天塩岳の麓にいた。世は華の三連休。予定まっさらだったからか、急に山の上でお月見をしたくなって昼過ぎに準備を始めたら、こんな時間になってしまった。
 森林限界の上は初冬の体をなしていた。風がかなり強い。
 4時半。周りがだんだん暗くなり、強風がやけに怖ろしく感じ始めたころに非難小屋に着く。安堵と同時に寒さが襲ってきた。
 風は夜になっても弱まらず、月を見るどころか外に出るのも億劫な状態で、時折ガタンと音を立てるドアに終始怯えながら、その夜は更けていった。

 翌日。一向に視界が回復しない。歌いまくって気を紛らわし、意を決して頂上へ向かうことにした。
 昨日に引き続き風が強い。もう山は冬が始まっているんだなと、鈍いながら感じさせられる。頂上ではやたらと速い雲が僕の目には際立って見えた。


 自分を売るための山から、挑戦と言う名の逃避行の山になり、自然の片鱗に触れる楽しさを知った僕の大学時代の登山。それから1年と少し。僕は僕なりに一年間真剣に木や動物や森、山、そしてその歴史に触れた。その結果山を見る視野が広がり、視点が増えたようだ。

 この天塩岳。ずいぶん高いところまで集材路や伐根が残っている。たぶんこの山の巨木は全て伐られている。残っているものは形の悪いものや当時の幼木。風倒木も多い。原始の姿を残しているのは森林限界からといってもいいかもしれない。ここは林道を20キロも走ったところなのに、である。こんな山奥までもが一度完膚無きまでに破壊されている。これが北海道。

 北海道の自然は木から始まっている。雪があったことが災いしたか、北海道は本当にごく一部を除き、そこにあるそのすべてが伐り尽された。冬に伐採された木は馬橇に曳かれて山を下り、丸太になって川を下り、河口で筏に組まれて外海に出る。その材はヨーロッパに流れ内地に流れ、家具や柱となった。

 北海道は無尽蔵だと言ったアメリカ人の言葉も今は昔。稼ぎ人の懐が暖まると同時に山は荒れ果てた。傾斜地では、地力の衰えに体を支えきれなくなった生き残りの巨木も倒れ、連鎖的な山の崩壊が続く。貴重な土壌が流れ出し、土砂となって河床に堆積して天井川になり、洪水がおきる。それを止めるためダムを作る。山が衰え、川はその役目を失い、海がかつての賑わいを失う。その皆伐期と同時に繁茂した笹が土壌の流出を食い止めていなかったら、今頃この土地はどうなっていただろう。

 1m程度の木があっても、そこが昔ながらにある森とは言いがたい。極相に至る森は暗く、複雑で、やたらと動物がいて、笹が少なく歩きやすい。2mを超える大木もあったと聞く。ジャングルと化した幼稚な昨今の山とは様相を異にする。そんな森に触れたことがある人などいるのだろうか。

 昔、といっても100年の間だが、山のどの辺まで人が暮らしていたか、北海道はどのような土地だったか、どういうことをして生活してきたか、なぜかそのたった100年の歴史が僕には伝わっていない。親からも、誰からも。なぜなのだろうか。

 森を知れば知るほど、原始の森を見てみたいという気持ちは強くなる。そしてそれがここに無い事を知り、憤りを先人たちに抱く。その一方通行の視点は結果的に視野を狭め、偽善者となって綺麗ごとを吐く。そうやって凝り固まってしまうと大事なものが見えなくなる。それはあまりにも損だ。
 僕は自然保護論者ではないし、情報操作された環境問題にも毛頭興味が無い。とにかく、先祖たちの努力あってこそ今この土地で悠々と生活している人間が、自然の惨状を嘆くことなどできない。どれだけ今が快適か、飢えと寒さと絶望の中で笹を掻き分け巨木を伐り倒し、農地を開拓していった人たちから見ればそれはあきらかである。文化を持つ人たちは別だが、文明人にとって自然は無慈悲であり宿敵なのだ。そして自然にとって文明人こそ天敵でもある。自然保護とは、自然を破壊し利用してこそ生きてゆける自分が簡単に語れるものではなく、非常に複雑な矛盾をはらんでいる。


 時代を尊重した上で、ただこの自然の流れを見ていたい。綺麗ごとなんてつまらない。食うために僕は自然をぶっ壊す。その立場から自分の欲望のままに自然と向き合う。その上で森というものを、木を見ていたい。触れていたい。


戯言ですが、何かの刺激になればと、山の雑感を書いてみました。

後輩のみんな元気でやってるかな~
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by hgwvob | 2008-10-20 22:03 | まったり


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