2007年 03月 18日
前編 「この冬に札幌近郊一周やりたいと思うんですよ。」 「へえ、いいね~。なら、太平洋から日本海を繋ぐってのはどう?」 夏。僕は今度の冬に、今まで叶わなかった冬期札幌近郊一周をやりたいなと思っていた。これは僕が2年前に随分と恋焦がれ、挫折させられた計画である。それはヒマラヤなんかとは比べ物にならない、ワンゲル時代の最大の夢だった。そしていろんな経験を積んだ今、それが不可能ではないと思える自信があった。単独では無理でもサポートがあれば行ける。その野望を石本さんに語ったとき、海から海を繋ぐこのルートを知った。なんて素晴らしいんだ、僕はすぐさまそれにとりつかれていった。 初冬に入り、自分の中でいよいよ計画が現実味を帯び始める。バイトで爺さん婆さんの世話をしながら頭の中は四六時中縦走計画。 特に思案したこととして、1つ目はコンロ。冬の縦走に液体燃料を使うことは男の美学である。ガスよりも危険で手間がかかることなんて気にしない。それこそこの縦走で完璧に使いこなせるようになればいいんだ。そう思って一番良いと思われるものを買った。馬鹿高かったが、こういう無謀な買い物は行動力の足らない自分を叱咤するのに丁度良い。 2つ目は食糧。なんせ今回は日高とは違って危険な箇所は無いと思うし、それなら市販の添加物漬けの即席料理よりも自分で全部作りたかった。そこで乾燥野菜の作り方をいろいろ調べる。1月に入ってからは家が玉葱臭いとかしょっちゅう姉ちゃんに怒られつつ、その甲斐あって味はともかく食糧も自家製でなんとかこしらえられそうだ。 そしてなだらかな山を繋ぐ旅といえば常に橇を曳く自分を夢想していた。一人橇を曳き、雪洞を掘り、コンロを焚き、飯を食い、海から海へ日々進んでいく。そんな長旅、血が騒がないほうがおかしい。橇はそのへんに売っているものを買って試行錯誤を繰り返した。これで強烈なラッセルのときの良きパートナーとなってくれるだろう。 寝床はツェルトを持って雪洞中心で行こうと思っていた。そして実際に林と漁から札幌岳までそのスタイルで縦走した。結果としてこりゃ長期は無理だと悟った。コンロの不燃ガスが酷いし疲れるし、濡れる。出発前にいきなり妥協案が浮かび始めるといったお粗末さが僕らしかった。 時期は2月の下旬にしようと考えていた。もう数年で冬山というものがガラリと変わってしまう気がして、忙しくても用意に手が回らなくても、最後のチャンスだろう今、厳冬期と呼べる時期に行かないと自分のなかで許せなかった。 そして、どうやら縦走は全行程単独ということになりそうだった。 2月21日 午前中親に頼まれていた用事を済ます。最近バイト先で流行っているノロウイルスの影響か頭がぼーっとする。装備の大半の調整は終わっているのだが、不整脈で病院に駆け込んでからまだ2週間と経っていないし、コンロの調整と玉葱の乾き具合にも不安が残る。そんなこんなと考えていると数日遅らせたくなるのだが、未知数なことなど無数にあるのだからとにかく行動しなきゃ始まらない。親には卒業旅行に行くと言っておいた。何時ころに行こうか、そんな緊迫感の無さに自分でも驚くアホっぷりだったが、この自然体が成功の秘訣なんじゃないかとなおアホな気持ちが湧く。15時を回ったところで橇を縛り付けたでかいザックとスキーを担ぎ、のんびりと札幌駅に向かい歩き出した。 登別へ一本で行く汽車はないらしく、駅で一時間待ち苫小牧まで行った。それから西日の差し込む汽車に乗り、登別についた頃には真っ暗になっていた。 僕と一部の人しか知らない、厳冬の単独縦走。さらに経験したことなどない日数、距離。常に死が隣にある孤独な挑戦。だがこれはあくまで現実逃避行ではなく、今後挑戦の始まる人生の腕試しの一つでもあった。その偽りのない前向きさが僕の背中を押す。そして生と死のある世界は僕を惹きつけてやまない。 カルルス温泉の道のりを聞き、周りの人たちと自分の命のギャップを感じながら歩き出す。咳が出ることと今後しばらく口に出来ないからと生ものを買い、大切に命を頂戴した。 少し歩くとバス停があり、登別温泉行きと書いてある。カルルスへはその道半ばで左に折れると聞いていたのでバスに乗ってみた。そしてカルルスへの分岐点より少し行ったところのバス停で下車。そこには丁度立派な待合所があり、テントを張らせてもらうことにした。さすが無計画人間、残金3000円だ。それにしても過疎ってな良いもんだな。 自宅15:00→登別18:00?→バス停20:00? 2月22日 4時頃に目が覚める。0度。シュラフから出ると寒い。だらだらと用意を済ませて6時半出発する。雪が少しあるのでさっそく橇を引く。今日は天気が良く、やたらと暖かくなるらしい。食糧を橇に載せるとだいぶザックも軽くなり、足運びは軽快だ。 親指を立てながら歩くこと1時間、気前の良いおばちゃんが止まってくれてそのままサンライバスキー場というところまで連れて行ってもらった。なんでもインストラクターらしいおばちゃんとの会話はとても楽しかった。 スキー場に着き糞をするが芳しくなく、諦めて水を買いテーブルについて呆けていると、僕の装備の横にお菓子の入った袋が置かれているのに気付く。 「お、あんたさっき歩いてた人だろ。それおばちゃんがあんたにあげるって置いてったよ。」 僕を見つけた従業員の人が声をかけてくる。こういう親切心には涙が出そうになる。なかには栄養ドリンクまで入っており、ちょっと元気になりすぎるんじゃないかと思いながらバクバク食らう。お腹いっぱい胸いっぱい、気合を入れてオロフレ峠へ歩き始めた。 スカッパレ。暑くてどうしようもなく、下着にズボンずりおろしで歩く。そんな身だしなみとは裏腹に少しずつ増していく緊張感。オロフレ山を始めホロホロ山までは、真剣に地形図を見始めてようやく急峻だということに気付く。ここは日高じゃないと思って緩みきっていた神経だが、舐めすぎだ。アクシデントが起これば終わり、そんな当たり前のことを正面に山が迫る頃になってわかってくる。命がけは懲り懲りだと思ったじゃないか。悶々と考え始めるが引く気もさらさら無く、舐めてかかっても緊張しても結局は同じか。 11時ごろ橇からスキーを外して山に取り付く。雪質は春のそれであり、重たいわシールに付くわで散々な状態。橇も雪につかまりやたらと疲れる。さらにはルート上に一部痩せ尾根まで現れる。だがぽかぽかと暖かい陽気には心地良さが勝る。 この日はオロフレ山の前にテントを張る。風が強くなりだした。明日は今日より暑くなるそうで、どこぞでは10度までいくという。これは低気圧強いな。その後の寒気も気になるところだが、とりあえず明日の行動をどうするか悩みどころだ。 C0 6:30→スキー場8:30→オロフレ前1060m15:00 2月23日 6時前に目が覚める。思いっきり寝坊だ。それにしても暖かい夜だった。外を窺うと今のところまだ視界がある。よし行ける。とにかく今日はオロフレさえ越えられれば良いだろう。昼からの荒天に備えて半日行動だ。それにしても、撤収作業を素手でやっているなんて、本当に冬か? オロフレ山の登りは堪えた。スキーが使えず、重たい荷を背負っての歩いては埋まるツボ(バリズボ)はいつやってもしんどい。風も強くてザックのどっかの締め紐が顔にビシビシと当たる。 頂上に着いたらクタクタだったがガスってきてはそうも言っていられず、風に煽られながらコルに向けて下降する。この方面は風が強いのか、札幌近郊には無い規模のシュカブラが波打っている。そしてそれらにことごとく引っかかる愛橇。壊れてしまわないか心配だがどうしようもなく、波に引っかかっては喜劇よろしく僕を引き倒す。更には追突したり引きずり落としたり。いつからか名前はポチになっていて、 「てめえポチ、なにしやがる!殺す気か!」 などと怒鳴る。我ながら悲しい一人芝居。 11時コルに着く。もうすっかり視界が無くスキーも滑らなくなったので丁度良い。雨のような雪の降るなか木の下にテントを張る、とこれが失敗。木から降ってくる水滴に設営時終始打たれ、張り終えた頃には衣類がずぶ濡れだった。木から離れたところにあるザックもずぶ濡れになっていたので、結局は逃げ場などなかったのだが。 轟々とうなりを上げる風雪とコンロ。衣類はなぜかパンツまで濡れている。オーバーミトンに突っ込んでいた手袋もずぶ濡れで、それが絞れたときには泣きたくなった。山に入って2日目でこれである。助けなどない現状に憂鬱になる。縦走はこれから始まるというのに。 今夜から寒気が来る。新聞やカイロは使わずに縦走してこそと思って非常用しか持たなかったのでなんとか乾かさなければならない。シールも乾かさなければとテントの中に持ってきてはいたが、あまりの状態にこれは諦めた。午後のひとときを楽しく放送しているラジオにギャップを感じながら、長らくコンロを焚き続けていた。 C1 7:45→オロフレ越えた鞍部11:00 2月24日 結局昨日だけで燃料を300cc消費した。燃料は多量に持ってきているのだが、今後も暖気が入ってくる可能性を考えると不安でならない。さらに暖気あとの寒気に寝不足の僕は朝から弱り果てていた。シュラフから素肌を出して出る気もせず、目出帽と手袋をつけてやっと抜け出る。何じゃこの寒さは・・・。おもむろに小便しようとすると 「ぴたっ」 うおっ!?・・・チンポがコッフェルにくっついた!!? 寒さになおも心折れながら最悪な気分での撤収作業となる。-15度に起き抜けの身を晒してガチガチに凍りついたテントやスキーを掘り出す。もともと寒さに弱く、しかも普段ぬくぬくと生活している自分の肉体と精神の非力さを痛感する。昔アイヌの人たちはどのように冬を乗り越えていたのか、ダウンを纏っても震えている僕になんて見当も付かない。手足の感覚がなくなる中、遅々とした撤収作業は1時間を要した。 ザックのバックルが一つも動かず、へんてこな形で歩き出す。氷となった雪面にはシールが利かず、ちょっとの登りもスキーアイゼンを着けたりツボで登ったり。幸い天気予報では今後天候は回復するという。この地方は前線さえ抜ければ雪は降らないはずだ。それこそ無意根は今頃吹雪だろうが。 オロフレからホロホロまでの山は地形図で見たとおりに細かった。少しずつ日の射してくるなか、ホロホロ山と督舜別山という雄大な双子峰が霞がかった先に見えてくる。その右側にも山が見え、最初はそれがホロホロ山と思っていたのだが、視界が開けてくるとどうやら違うということに気付いた。それにしても急な山だ。あれを登れというのか?続く痩せ尾根もそうだが、その山を見るたび不安にかられる。だが行かなければ始まらない。 痩せ尾根を進行中、その急なクラスト斜面を10キロの橇が何度も谷間にぶっ飛んでいく。僕にとって滑落は鬼門なのだが、そこを無邪気にえぐるポチ。吐き気を催す中、僕にはポチが楽しんでいるように見えてならなかった。 ポチに弄ばれながらも、雪崩れそうな雪質の下痩せ尾根を越え、際どいトラバースをこなしていく。そうして昼前にホロホロ山手前の1260mと書かれたあの山に辿り着いた。その山の登りは下から見てもいくらなんでもあんまりだった。さあどうしようかと思案するが、スマートな方法などこの状況では無く、スキーを担いで強引に登り始める。そして案の定行き詰る。まったく行き当たりばったりだが引き返すこともできず、雪を掘って白樺を掴んでは体を持ち上げる。風前の灯となった我が命をさんさんと照りつける太陽だけが励ましていた。 傾斜が緩くなってからは橇とザックを別個に運び、クタクタで登りきる。なんとまあ景色の良いことか。目の前に悠然と立ち並ぶ双子峰と支笏湖のチラリズム。今日の行動は打ち切りだ。目を疑うようなシュカブラが周り一帯にあり、そんななかホロホロ山の下に安全地帯を見つけたのでそこで寝ることにする。 テントを張り終わるまでに1時間かからなくなった。この数年でだいぶ要領よくなってきたな。それにしても天気が良い。無人地帯だという緊張感もこのときだけは忘れ、西日に輝く世界に向かって気持ちよく一人叫んだ。 C2 7:00→ホロホロ山前14:00 2月25日 朝、テント内は-10度。前日よりも強い寒気が入っているらしい。寝不足の続く体で昨日と同じくフル装備でシュラフから這い出し、コンロを焚いてようやく落ち着く。俺は本当に弱いな。 唇が昨日の日差しでだいぶ荒れた。今回は長期縦走である。こんなところで荒れるのは先が思いやられるが、リップを塗っても荒れるとなればどうしようもない。これを塗っておにぎりを食っていると嫌な味がするのも考え物だった。 ホロホロ山の登りでやはり苦戦する。朝っぱらから無理したおかげで吐き気がしたが、快晴の中その頂上からの眺望は素晴らしかった。振り返ると太平洋があり、そして霞がかった彼方に無意根と思われる山があった。俺は本当にこれからあそこまで行けるのだろうか?あまりにも遠い。ここは日高のような命賭けの道のりでは無いが、厳冬はいつでも隣に死があり、一人でいるとそれだけで凡人の僕には重圧となっている。そんななか現状にまったく自信を見出せていないけど、とにかく行けるところまでこつこつと歩いていくだけだ。 そこから北進すると2年前のことが思い出される。このホロホロ山と督舜別岳は以前山岳部にシゲ大波との6人で長い縦走をしたときの最終目標の山であり、2度の挑戦も吹雪のために報われず撤退したところ。あのとき無理に行っていたら質の悪いこの細尾根にスキーを背負わされ、吹雪に叩き続けられただろう。疲れきり基本装備も無い山岳部を率いてはどう考えてもやばかったろうな。そんな悪天があったかと思えば今こうして快晴ということもある。まったく山とは恐ろしい。低山と侮っちゃいけないな。 白老峠まで続く原生林。その中を一人進む。このときもまだ郷愁に浸り続けていた。あのときの漁岳から大滝村までの1週間近い縦走は本当に僕の大事な思い出となっている。他の評価はどうあれ経験の浅い僕にとってあれは冒険の日々で、辛かったり歌ったり感動したり、下品なことなど言っては腹いっぱい笑った掛替えの無い経験だった。どんなに困難なことをしても決して色褪せない初の冬山長期縦走の記憶。撤退したことなど正直どうでもいい話で、あのとき山岳部も含めて辛くも笑いあったあの時間が愛おしい。それから2年後に僕は一人でまた同じ場所を歩いている。健太のことは残念でならないが、しんとした寂しさが思い出を一層塗り固めてくれているようだった。 「ブオオオオ」 峠に着き、休憩ついでに装備を干しているとやっぱりでてきた。今日は日曜日。山屋に嫌われ者のスノーモービルたちだ。はっきり言って僕も不快ではある。でも否定する資格は自分には無い。実際自分も乗ったら気持ち良いのだろうし。ただ冬山を知らない連中がガキみたいに寄り集まっては山を駆け回る行為は滑稽に尽きる。徒党を組むな。鬱陶しい。 天気が良いおかげで午後に入り雪が腐りだす。今日は出来れば美笛峠まで行きたかったのだが一時間も干し物をしていたのでちょっと時間が厳しくなる。白老岳にいつごろ登り切れるかが鍵となるが、そこでこの雪である。遥か頂上では誰かが楽しそうにしているが、まだまだ先は長く、荒い息と共に辿り着いたときには14時を回っていた。それにしてもオロフレ山がもう小さく見える。最初は行程が遅れて無意味に焦っていたけどこれならなんとかなりそうだ。 下降しコルに着いたところで日が翳りだしたのと疲れから、ここにテントを張ることにした。一気に気持ちが楽になった。今日の行程で前半の危険箇所は抜け切ったのだ。明日からはひたすら距離を稼ぐことになる。美笛峠から中山峠は距離こそ長いがガスと酷いラッセルさえなければ2日ほどで抜けられるだろう。 それにしてもここまで縦走して思ったが、よく去年単独で日高を縦走したものだ。テント設営もおぼつかない素人が、あんな尖がった山を自身の体調も含めて最悪な条件の中歩いていたのだ。現実逃避の嫌いもあったあの無謀な経験は、すぐ弱々しくなる心に決して挫けることのない芯となり今の僕を支え続けている。そんなこんなと考えているとこの挑戦は並の人間には無理だとほくそえみたくなるけれど、それと同時に、自分は数多の偉人達に到底太刀打ちなどできない力量なのだということも、より明確に認識させられる。 今夜は昨夜よりも強い寒気が入るそうだ。覚悟しよう。 C3 7:25→白老岳越えたところ15:00 2月26日 シュラカバの霜が昨日に増して多い。本当に冷え込みやがった。冷え込むと聞いてからは毎晩湯たんぽを用意しているのだが、この晩は夜中にテルモスの中身と入れ替えた。このときのものすごい寒さは僕を徹底的に弱らせ、もしお湯をこぼしてシュラフが濡れたら対処する気力もわかずに死ぬ気がした。常に強靭な精神力が要求される単独行。この程度で死を連想し、尚且つそれに打ち勝つことができない僕。なんて脆弱。 今日もまた天気良好。夕方になると疲れで弱気になる心も一晩すれば回復するが、好天はそれを後押ししてくれるのでありがたい。そんななか美笛峠前の痩せ尾根から見た支笏湖の展望は最上級の絶景だった。 峠からはスノーモービルの跡が北に続いていた。スピードが重要な今は素直に助かる。広大な雪原に縦横無尽に走る様には爽快感さえ漂って見える。昨日来ていたらヒッチできたんじゃないか・・・歩きながらそんなことまで思う。こんなバカに彼らを否定する資格なんてやっぱりないな。 以前の自分がそうだったが、スノーモービルを山屋の狭い美学から否定するのは問題外だと思っている。エスキモーだって使っている。僕が不快なのはあくまでルールもモラルも知らない未熟者が好き勝手に自然を荒らすこと、そして群れること。問題を起こしたらそのまま死ねばいい。否定はしないが肯定もしない。 シュラフなどぶらぶらと垂らしてもくもくと歩く。左には羊蹄山、右前方には札幌近郊の山々。相当早く進んでいる。橇もこのときばかりは僕の命を狙えず寂しそうに引きずられている。 起伏の緩い平原のような分水嶺上を美笛峠から中山峠まで2日くらい。そんな考えかたをする状況に不思議な気持ちを抱かずにはいられない。2日といえば一般的な山行日数であり、日数をただの単位として捉えているこの感覚は人生で初体験だった。 薄暗くなるまで歩き続けた。これで明日の行程はずいぶん楽だろう。たぶん午前中には中山峠に抜けられるはずだ。ただ今日悲しかったこととして、おにぎりがすっぱかった。いつもは塩野菜おにぎりにしていたのだけれど、たまにはということで今日はきな粉おにぎりを作ってみた。塩を使わずに一晩温まっているとよくないらしい。 夜さらに悲しいことに靴下を焦がした。コンロの上で2秒くらい焼かれていた。履けないこともなさそうだが、この先には無意根山や余市岳が待っている。あのあたりの無人地帯でこれが駄目になって、さらにこの前のような暖気で予備がやられてしまったらと考えるとまったく笑えない。とくに疲れが溜まっていたわけでも無いので単なる不注意だ。情け無さすぎる。 C4 7:30→フレ岳分岐から5キロほど先16:30 2月27日 テント生活もだいぶ手慣れてきた。今朝はテント内-5度。暖かい。昨日の朝に寒暖計を見なかったことがなんだか悔やまれる。外は雪が降っている。 出発1時間で疲れた。なんでだ。中山峠が目と鼻の先だと思って気が抜けてしまったか、それとも疲れが溜まっているのか。昨日のおにぎりも思い出される。明日回復したならばきっとこのだるさはおにぎりのせいだ。 淡々と歩く。膝が連日の行動とホロホロの下りで捻ったせいで痛くなってきている。今日は半日行動だし、峠に着けば久々に暖かい室内で休めるんだ。それまで頑張って動けコノヤロウ。 「よっしゃああ着いたぞォォ!!」 11時に何とかスキー場に辿り着いた。久しぶりの人の営み。久しぶりに努力しないで暖を得られる。そのなんと嬉しいことか。誰も声をかけてくれないのがなんとも寂しいのだが、文明に浸っている人たちに心の余裕なんてあまりないのだろう。早速ホテルに入り、程よく寂れた室内でゆったりと体を横にする。快感。山の中じゃ何もせずに横になったら30分と持たずにたぶん死ぬ。動き続けるかテントを張って中で震えるかという息つく暇の無い日々の中、文明のなかった祖先たちの生活文化がどれだけ優れていたのか、毎日それを思ってやまない。 1時間ばかりの眠りから覚めるとだいぶ膝が痛くなっている。体も重く、めまいがする。やっぱり疲れていたんじゃないか。よくこんな状態で歩いていたものだが、気の持ちようでこうも弱々しくなるとは。もうほとんど歩ける気もしないから早めにテン場予定の道の駅に行って、石本さんが来てくれるまでゆっくりと休もう。 広い休憩所で装備を広げて干す。ついでにお菓子やら水やら買う。残金千円。ところで今回の食糧は米、蕎麦、乾物、味噌、塩、砂糖、カレー粉である。そのほかになんとなくきな粉とピーナツバターも持っていたが、基本的には乾物をテキトウにつっこんで夜はスパイシー味噌汁ご飯、朝はスパイシー味噌蕎麦、そして塩野菜おにぎりで毎日回していた。これがバカにできないくらい美味く、特に味噌は美味で、切れてしまわないかと悩み始めたところだ。究極の味とは飢えと塩っけと愛情だと気付く今日この頃。だが今夜は晩飯を控えるよう連絡をうけている。一体何がまっているのか、飢えた胃袋が雄叫びをあげ続けるのだった。 憩いの空間も17時半に閉店してしまい、優しい店員さんの許可を貰ってその前にテントを張る。あげいもまでいただいてうれしかった。それにしても一週間前のスキー場のときもそうだったが、僕が日本海を目指して山を歩いているといってもまるで理解されない。意味すら伝わっていないのか、サラリと受け流されるのだけどなんでだろう。言い方が悪いのか聞き手が悪いのか、とにかく寂しいので少しくらいリアクションして・・・ 19時半、石本さんと一緒に山田さんまで来てくれた。まさかこの計画を知っているとは思わず、そんな気兼ねなくサポートしてくれる2人の存在がもう嬉しくてたまらなかった。1週間ぶりの会話、しかも2人とも僕のこれまでの話を熱心に聞いてくれる。温かい車の中、目の前には寿司がある。心が舞い上がり、これまでの厳しい1週間が夢だったような気分になる。あまりにも幸せすぎた。そうして時間はあっという間に過ぎ去った。別れ際ガソリンやステーキや予備の靴下など援助してもらう。これで後半の装備の不安事はなくなった。帰っていく2人を見送るのがあまりにも辛かったが、寒く厳しい環境に慣れてきた身体が次の瞬間には頭を冬山に切り替える。さあ明日からまた無人地帯に突入する。今後は体力の回復を優先しようと思ってカイロを2枚買っていた。これで今日は久しぶりに熟睡できそうだ。 C5 6:30→中山峠11:00
by hgwvob
| 2007-03-18 17:02
| 冬山
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