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2006年 01月 26日
長文投稿実験
クヮウンナイ川 事故報告書    大波淳



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この度、沢登りにおいて事故を起こしてしまい、多くの方にご心配とご迷惑をおかけしました。救助してくださった北海道防災ヘリの方々、北海道警察航空隊の方々、顧問である渡辺さん、直ぐに駆けつけてくださった監督の三佐川さんとOB会長林田さん、大前の御両親、学生部の浜野さん、旭川医科大学病院の方々、OB石本さん、OB山本さん、他多数の方々にこの場をお借りしてお詫びとお礼を申し上げます。

【山行計画の概要】
・場所 クヮウンナイ川〜トムラウシ山〜化雲岳〜天人峡
・期間 平成17年8月16日(火)〜19日(金)
・メンバー CL 大波淳(法・2) SL 重森淳(工・4) M 谷泰尚(工・4) 装備 高橋宏明(経営・2) 食糧 大前英行(経済・1)・林俊寛(経済・1)
日程 8/16 札幌駅→七福岩駐車場→ポンクヮウンナイ川出合(入渓)→化雲の沢出合(970m二股) C1
   8/17 C1→F1(魚止めの滝)→滝の瀬十三丁→1355m二股→1830天沼南コル→ヒサゴ沼 C2
   8/18 C2→トムラウシ山→ヒサゴ沼 C3
   8/19 C3→化雲岳→小化雲岳→天人峡温泉→七福岩駐車場→帰札
※ 予備日2日間

【事故概要】
クヮウンナイ川遡行中の8月17日朝。魚止めの滝直前で、大前が足を滑らせて転倒した拍子に、下にあった鋭利な木に左足の甲を強打し、ネオプレーン製の沢足袋が裂ける重度の裂傷を負う。すぐに止血処置を行うも自力下山は不可能と判断し、事故現場は携帯電話の電波がなく交信できないため、二人が一旦下山してヘリコプターによる救助を要請する。大前はその日のうちに救出され、そのまま旭川医科大学病院へ搬送されて治療を受けた後、札幌に帰った。救助要請のために下山した二人は、現場にザックを置いてきたため、翌日登り返して事故現場に残った三人の所に合流し、下山した。

【時間経過】
8/16 7:25 札幌駅出発
     12:25 七福岩駐車場出発
     17:30 900m付近にテン場を見つけ、C1とする
     21:00 就寝
行動時間・5時間35分 遡行距離・ポンクヮウンナイ川出合から約6.6km
8/17 4:00 起床
     6:17 C1出発
     7:15 化雲の沢出合(970mニ股)
     7:40 1000m付近で20分程休憩
     8:30頃 事故発生
事故現場・C1から約1.9kmの魚止めの滝直前

〔救助要請組(谷・大波)の行動記録〕
     8:45 事故現場より下山開始
     11:15 クヮウンナイ川林道入口到着。携帯電話で顧問・監督・OB・道警航空隊へ連絡し、ヘリによる救助を要請するが、航空自衛隊のヘリは全て出動中のため、現場へは14時頃になるという連絡を受ける。
     13:52 七福岩駐車場より現場へ向かうヘリを視認する。
     14:50 道警航空隊へ連絡し、14:20頃に、大前は無事救出され病院に搬送中であると確認。
     17:45頃 監督の三佐川さん・OB林田さんが札幌から七福岩駐車場まで駆けつけてくれる。学生部の浜野さんと大前の御両親は、大前が治療を受けている旭川医科大学病院へ向かい、治療も終えて札幌に帰っているとの連絡を受ける。
8/18 7:00 七福岩駐車場より、大前に付き添うために残った三人に合流するた
め、呼子を吹きながら登り返す。
     10:53 事故現場と同じ場所で3人と合流。

〔待機側の行動記録〕
8/17 9:00 テントを設営し、大前を移動させる。交代で看病に当たる。
     14:30 ヘリが上空に到着し、大前が収容される。
           三人は現場に留まる。
     20:00頃 就寝
8/18 10:53 救助要請組と合流。

【行動経過】
8月16日、予定より遅れて12時半に出発する。多少荒れているが明瞭な踏み跡がある林道を20分程歩くとポンクヮウンナイ川との出合が見え、ここから入渓する。聞いていた通りの単調な川原が続き、何度も渡渉を繰り返しながら進むと40分程で小さな函が現れる。フィックスロープもあり、へつりながら慎重に通過する。その後も長い川原歩きが続く。
隊列は、大波が先頭で谷が最後尾、その間に1年生を挟む形を基本とした。1週間程前からまともな雨が降っていないことから川は渇水しており、何度も繰り返す渡渉も苦にせずにできた。時間が経つにつれてペースも良くなり、後ろを確認しながら立ち止まる回数も少なくなっていった。歩きながら巻き道の方を覗くと、ガイドブック通り幕営適地が結構見受けられた。明日のためにも18時をリミットとして、16時頃からテン場を探しながら遡行していく。876m右岸枝沢手前に良いテン場を見つけ、ここをC1とする。1日目のC1予定地である化雲沢出合には、出発時間の遅れで着かなかったが、このペースで行けば、次の日には十分に沢を抜けられる距離であったので心配することはなかった。その日は皆21時頃には寝た。
17日、4時起床。今日も晴れている。6時過ぎに出発し、1時間程で化雲沢出合に到着。ここまで6時間程かかったので、ほぼコースタイム通りである。この辺りから傾斜も強まり、巨岩も多くなる。1000m付近には小規模な雪渓もあった。
隊列は、大波−林−大前−重森−高橋−谷で進んでいた。前と後ろの距離は開いておらず、皆確認できる距離を保ちながら進んでいた。滝が見え進んでいくと後ろから呼子がなった。急いで戻ると、大前の足袋から血が噴き出ている。出血の量から重傷とわかった。急いで大前が沢足袋を脱ぎ、皆ザックから非常用パックを出す。止血をするためバンドエイドを貼ろうとするが、血のせいで貼ることが出来ない。傷口を見ると肉が見えていて、かなり深い傷であることが確認できた。大前が水をかけるというが、感染症になるといけないので傷口にそのままガーゼを巻き、その上からテーピングでぐるぐる巻きにする。それでも、テーピングを巻くたびに血が滲むので何度も巻き、足首を細引きで縛り、傷口を心臓よりも高い位置に固定した。大前は、パニックにはなっていないが、かなり痛そうである。大量の出血のショックからか次第に震えだし、寒いというので、レスキューシートを2枚掛け、下にマットを敷いて体を寝かせる。
大前から見えない所に離れ、谷と大波で話し合う。傷口が足の甲であり、足を下にした状態での歩いての自力下山は多量出血・感染症の危険があること。傷口、大前の状態を見て行動不能と判断して、道警ヘリに救助を要請することにした。大前が動揺するといけないので、大前を和ませるように努め、ヘリを呼ぶために一旦下山することを伝える。救助要請組は谷・大波とし、大前に付き添う待機組は重森・高橋・林とした。

【救助要請組の行動経過】
事故現場一帯は携帯電話での交信が不可能であることは事前に知っていたので、稜線上まで登るか下山するかしかなかったが、稜線上まで上るには滝を越えなければならないこと、要請後に現場まで降りるには危険が伴い二次的な事故の危険性があることから、今まで遡行してきたルートをそのまま下り駐車場まで行くことにした。一刻も早く救助要請が出来るように、ザックは残して携帯電話・財布・非常食など最低限の物だけ持っていく。気持ちばかりが焦って足取りがおぼつかない。冷静になろうと川で頭を冷やしながら下る。
林道入口には2時間半で着く。三佐川監督・林田OB会長・渡辺副部長・道警航空隊と連絡を取り合う。ヘリは全て出動中であるため、到着するのは14時頃になるという。その後、30分程で大前は防災ヘリに無事救助され、病院へ搬送されたということを確認する。搬送されたのは大前一人で、他の三人と要請組・大前のザックはそのままであり、三人がこれからどうするかの情報が入らない。三佐川監督・林田会長がこちらへ向かっていると連絡を受け、七福岩駐車場にて待機する。大前から連絡があり元気な様子だったと聞きほっとする。残った三人がどのような行動を取るか分からなかったため不安になるが、重森を信頼する。救助されたのが14時過ぎであること、ザックが人数の倍の計六つあることから、三人での今日中の下山は考えられず、明日再び登り返して合流し、下山することにする。
17時45分頃、三佐川監督・林田会長が到着する。大前の搬送先には学生部の浜野さんと大前のお母さんが駆けつけ、もう札幌に帰っている途中であることを知る。三佐川監督・林田会長が帰られた後は車で寝た。
18日、7時に駐車場を出発する。途中分流が何本も現れる。待機側の行動が分からず、下ってきている可能性もあるので、分流では二手に別れ、呼子を鳴らしてお互いを確認し合って進むが、中々うまくいかない。呼子を鳴らしながらC1まで着く。昨日の救出された時間から考えてC1までは移動していただろうと話していたので、もしかしたら上ってしまったのか、どこかで行き違いになったのか等色々なことが頭に浮かび心配になる。化雲沢出合のテン場にもいなく、結局事故現場で合流した。

〔待機側の行動経過〕
8:45、救助要請組がいなくなった後は、焚き火の準備を二人がし、一人が看病に当たる。大前は暫く震えていたが寝る。30分ごとに足首を縛っている細引きを緩めてくれと大前が言うので、その通り行う。テントを張り、本人がトイレで目覚めたときに移動するが、移動中に血が滲むので再度止血する。また、患部に虫が集まってくるので、足に袋を被せる。大前は、眠っているときは震えが治まるが、覚めると震えが続いたという。その後は、交代してテントで看病に当たる。
14時頃、ヘリの音が聞こえたがそのまま通り過ぎる。事故現場は木が被さっている状態なので、上からは分かりづらい。再び音がしたので、高橋がタオルを持って手を振る。これに気づいたのか、ヘリが回転しながら約20m程まで高度を下げ、救助隊員二人が降りてくる。地形上、着陸しての救助は不可能で、ホイストケーブルによる吊り上げ救助が行われた。ホバリングによる強風で、ザック、装備が飛ばされる。30分程で大前が救助される。このとき、ザックは運んでもらえないのか、残る三人がこれからどのような行動を取るのかを救助隊員に伝えることが出来なかった。その後、テントをもう一張り設営し、飛散した装備を集めて、救助要請組が当日中に戻ってくると考えて事故現場に留まり、明日12時まで待っても来なかったら6つのザックを背負って下山しようと考えた。結局、11時前に事故現場で要請組と合流した。

18日 10:53、合流。大前の装備を分配して下山。再び怪我するといけないので慎重に下山する。途中、林の状態がおかしいので聞くと、足首を捻挫したらしい。林の装備を分配して出来るだけ軽くし、ゆっくり下る。17:30 七福岩駐車場到着。

【事故原因・反省点】
今回の事故は、川原を遡行中の転倒によるものである。これは、滝の高巻き中の滑落やザイルワークのミスによる事故といった判断ミス・技術不足により起こった事故ではなく、沢の経験に関わらず誰にも起こりうる事故である。それが運悪く足に刺さりヘリを呼ぶことになった。本山行の前には、プレとして発寒川・漁岳・幌内府川と3回沢に入っている。3回の活動の様子を見る限り、大前は活動を重ねるごとに遡行技術・生活技術において成長が見て取れた。本山行では、余裕を持った計算で計画を立て、食糧の軽量化を行い、隊列も一年生を挟む形で常に目の届く距離を保ち、ペースも1年生に合わせていたので、計画・行動に無理があったとは考えられない。しかし、不可抗力的な事故でも、仕方がなかったで済ましてしまうのではなく、それを誘発する原因がどこかにあったと考えて改善すべき点を話し合わなければ、今回の事故が無意味になってしまう。
・ 行動前の準備運動の必要性
事故発生が8時過ぎと朝に起きていることから考えると、集中力の低下から起こったとも考えられる。朝の行動開始時と疲れが出る夕方は、集中力も切れやすいので特に気をつけ、柔軟などをして疲れを溜めないようにする個人の心がけが必要。
・ 救助要請組と待機組との意思疎通不足
精神的余裕がなかったため、要請組が下山してから残したザックはどうするのか、救助されてから待機側はどうするのか等を話し合わないままに別れてしまった。そのせいで余計な心配を生み、二次遭難が起きてしまう可能性もあった。事故が発生し混乱状態にあるときほど、心にゆとりを持ち、お互いに積極的に意思疎通を図ることが必要。
・ 医療の知識不足(医療勉強会の必要性)
今回、止血方法などの指示は、殆ど谷が出していた。事故は誰がなるか分からないので、メンバー全員が一貫した知識をもち、緊急時に迅速に動けるようにしておきたい。その場合、あやふやな知識は混乱状態では役に立たないので、確実に頭に入れるかメモして非常用パックに携帯しておくと緊急時の混乱を避け確実に処置することが出来る。
・ 非常時の注意点を全員が把握しておく
怪我の状況をみて、行動するかしないかの判断は本人ではなくリーダーが行う。
行動不能の場合 ↓
救助を要請するか自力下山のどちらか、自力下山の場合は二次的事故を考えて無理をしない。
救助を要請する場合は、確実に救助要請をしに行ける者を選び、分かれる場合、意思疎通は確実に行う。 ヘリを要請する場合は、飛散しないように荷物はまとめておき、発見されやすいようにしておく。救助不能な場所では、可能な場所を探して怪我人を安全に移動させる。
救助隊員には、自分達がこれからどういった行動をとるのか告げ、可能な場合には救助要請組に伝えてもらう。だが、必ずその前に意思疎通をしておく。
非常時は、パニックを起こさず、次に何をすべきかを常に考える。二次的な事故は起こさないよう冷静かつ慎重に行動する。一番的確な判断が出来るCL・SLに従う。非常時に備えての対策はパーティーであらかじめ整え、それに従って各自が準備し、いつ誰が怪我しても対応できるようにしておく。
・ 無線の必要性
沢中では携帯電話を使える場所がほとんどないため、無線機が使用できれば心強いと思われる。部に備品として所持していながら現部員が誰も使えないのは残念なことで、早急に取り組むべき課題である。

【事故を振り返って】    CL 大波淳
今回は、CLでありながら、事故後の処置や連絡の一連の行動において谷さんに頼りすぎてしまい、自分の精神的な弱さを痛感しました。このようなことが起きる可能性があるということは頭の中になく、いつものように何事もなくいくだろうという安易な考えでいたために、事故に直面すると精神的な余裕がなくなってしまっていたのが事実です。自然の中で活動している以上、いつどんなことがあるか全て想定するのは不可能ですが、どんなことが起きても適切な対処が出来るように心の準備をしておくことが必要であると感じました。不運にも一年の大前が事故に遭ってしまい、多くの方々にご心配とご迷惑をお掛けしました。申し訳なく思うとともに、大前が無事に救助され感謝しております。大前が怪我をしたことは不運でありましたが、事故が起きてからの対応や注意すべき点、その時の精神状態、今の部に必要なものが分かったことなど良い経験にもなりました。そして、大切なのは、ここで活動の範囲を狭めたりするのではなく、この事故を教訓としてより安全に活動をしていくことであると考えております。

by hgwvob | 2006-01-26 00:00 |


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